雑多な日記

雑多である

謙遜がきらいという話

 日本人は謙遜を美徳とするみたいな話がある。結論から書くと私は謙遜はするのもされるのも好かない。謙遜することで誰がどう嬉しいのかという話を考える。
 まずどのような場面で謙遜をするのか。これは他人と比べて優れた成績を残したときなど、褒められが発生した、もしくは発生しそうな場面だろう。「いや〜そんなことないですよ〜」「〜が悪かったからまだまだ精進しないと」というように謙遜の儀式が行われる。こうした場面でもし謙遜しなければどうなるだろうか。とても悲しいことに一部の人間から訳のわからない中傷を受ける、ないし陰口を叩かれるのである。決まり文句は「調子乗ってる」だ。成功した人間を貶すことで己の自尊心を何とか保とうという人間は少なくない。そして声が大きい。声のデカさで自分を保っているのだろうか。謙遜をしなかった人間が中傷を受けた場合、10対0で中傷した側が悪い。な〜にが「調子乗ってる」だ。そいつは努力だろうが運だろうがなにかしら行動を起こしたからその成果を得たのだ。むしろ褒めまくって調子に乗せろ。担ぎあげろ。謙遜を期待してほめほめしてくるやつらはクズだ。クズが喜ぶことを進んですることもない。褒められたら「ありがとう」だ。そして全力で肯定しろ。おまえはすごいんや。そして褒められをモチベのひとつにしてまた頑張れたらもっとすごい。
 自衛心が強い人間ほど褒められる前に先んじて謙遜の儀式を行っているように思う。理由は謙遜を期待してくる奴らは謙遜しない人間に対して本当にしつこい。ゴミに絡まれる面倒と一時てきとーに謙遜してその場をやり過ごすストレスを天秤にかけたとき、後者の方を受け入れているのだ。そうして何かを成した人が我慢しないといけない状況がとても悲しい。その人は褒められることをしたのだから、たくさんほめほめされて「そうだろうそうだろうガハハ」と笑って欲しいのだ。そういうわけで私は謙遜を好かない。みんな混じり気ないほめほめを交わして「やった〜〜〜ありがとう〜〜〜」ってなってほしい。

おわり