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手帳を移行した。2024年の手帳からロルバーンの干支のイラストが表紙の手帳を使っている。
かわいい。
- A5サイズ
- 月曜始まり
- 自由に書き込めるページがたくさん
- リングにいい感じにペンが収まる
あたりが気に入ってるところ。
移行のタイミングでせっかくなのでざっと読み返してこんなこと書いてたのか~みたいなのを放出する。
12/28
優しい嘘は本当にあるのか?
人と人が関わると何かしら嘘が生まれる。
本心ではそんなことを思ってもいないのに相手を褒める言葉だとか、自分の不利益になる情報を隠す嘘だとか。
一般に嘘は悪いことということになっている。
特に自分の利益を目的とした嘘について。
一方で他人のための嘘はむしろ良いこととされたりする。
相手を喜ばせるための嘘とか。
これらを悪い嘘、良い嘘としたとき、両者は本当に区別できるものだろうか?
1/11
人に好かれるための努力というが、具体的には自分を偽ることでは?
相手の意図を想像してくみ取って、その通りに言動を調整する。
たとえ純粋に相手のことを想ってのことだったとしても、相手を騙していることには変わりがないのではないか?
相手の思考、受け取る印象をコントロールしようとして、自分の都合のいいように持って行こうとするのは詐欺とかわりないのでは?
その境界を間違えない自信がない。
3/7
報われるあてなく努力することができなくなってしまっているのが悲しい。
おおよそこのくらいの努力でこれくらい報われるだろうみたいな計算なしに行動できなくなってしまった。
これやりたい!というシンプルな気持ちだけで行動したい。
自分個人のことに関してはある程度なんとかなるが、他人が絡むと途端に難しくなる。
他人を理解できない、というよりされたくないからしたくない、できるわけがないと思う。
3/16
エロに釣られて買ったクライムゲームという漫画があまりにもクソすぎて悲しくなって本屋で散財した。
3/21
著名人のプロフィールに血液型も書かれがちなのよくわからん。
血液型性格診断みたいなものを根拠にその人を知りたいというモチベなのかもしれん。
3/22
自分で自分を悪く言っておいた方が、他人から言われたときのダメージが減るみたいなやつ。あんまやらんほうがいい。
3/26
嫌いなこと、嫌いな人間について考える時間は短い方がいい。
どういうところが、なぜ嫌いなのか整理して頭から追い出すべき。
楽しいこと、やりたいこと、面白いことについて考える時間を確保したい。
機嫌をとられたくない。
機嫌をとってあげないといけない人間と思われないように、常に機嫌よさげに振る舞えると良い。
たぶんむり。
3/27
ぶつかったときに自分を削るか、相手や周りを削るか。
距離を離すか。
こういう例えだと自分の形に何かとがったところがあると人とぶつかりやすい。
とがったところがないと何も引っかからない。
4/5
人の本性とは?
他人にどう思われるのかみたいなことを意識することなく自然発生する言動?
ぼけーっと考えたことのほとんどはこれという形や結論を持たないまま、忘れてしまう。
別に価値のあることばかりではない、というよりほとんどは価値のないものだが、後々、そういえばこのときこんなことを考えたなあと思い出すヒントくらいは残しておいてもいいのかもしれない。
考える量に対して書き出す量が追いつくことはきっとないし、言語化してしまった時点でどこか意味がずれてしまうのは仕方がない。
あくまできっかけとして、こういうところに書き殴っておくと暇で仕方がないときにちょっと面白いかもしれない。
メモ帳と呼んでしまうと、何か後で役に立つことを書かないといけないような気がするが、手帳と呼ぶとその限りでないような気がする。
4/8
チケットとかIssueとかドキュメントとかコミュニケーションツールとか。
新規にアサインされた人が、適切に情報にアクセスできることを最優先の目標にくらいの運用でどうか?
閉じたところで議論されたり、当事者に直接きく以外に知る方法がない情報があるとか、そういうのが気持ち悪いし不便。
文脈とか議論とか関連資料の所在とかはチケットやIssue上で知りたい。
メールとかチャットは進捗の確認とか、リンク投げつけるとか、別に後から入った人にとって知らなくても問題ないことだけに使われてほしい。
アクセスも検索性も悪い場所に重要な情報を置かないでほしい。
4/21
「わかりやすさの罪」p241
「集団Aと集団Bの間に差があるとわかった時、それが統計的に『有意』出会ったとしても、それだけで集団Aの構成員はこうで、集団Bの構成員はこうだと決めつけられない」
「集団間にある分布の違いを明らかにすることと、構成員のここの特性を明らかにすることとは全く違う」
引用の引用
川端裕人「『男脳』『女脳』のウソはなぜ_どのように拡散するのか」
5/19
暇と退屈の倫理学 國分功一郎 p34
文化産業はあらかじめ受け取られ方の決められた楽しみを、産業に都合のよいように人々に与え続けるのだと言った。私たちはそれを受け取り、「楽しむ」。
5/29
「Aさんは~なところがあって・・・な人だね」みたいなのがどこか苦手なのは特別でありたい気持ちが強いからなのかもしれない。
何か特徴を言葉にして表現してしまうと、抽象度が上がってしまうと言うか、別にその人でなくても同じ言葉で表現される人はいるし、その人である必要がなくなってしまうような、そんな気がしてしまう。
言葉にするとき少なからず丸め誤差というか、消えてしまうもの、情報がある。
これももったいないと思う。
きっと実際は誰も特別なんかではなくて、その人でなくてはならないということはなくて、代替が効くのだろうけれども、それを認めないという姿勢をとるためだけでも、安易に人を言葉で表すことを避けたい気持ちがある。
唯一無二であってほしい。
実際にはきっとそうではないのだろうが。
6/14
相互理解は現実にあり得るのか?
漫画とかに出てくる「お前らしくないぞ」みたいな台詞が引っかかる。
判断基準がブレているということが言いたいのか?
そんなものブレて当たり前ではないか?
しょーもないきっかけでも変わるときは変わるし、変わった理由を問うのならわかるが、責めるのは何様なのだろうか?
こういう場面でこの人はこうするというような、プロファイリングもどきは相手を理解しているということになるのか?
8/6
言葉を選ぶこと、相手の受け取り方を想像すること。
ちゃんと答え合わせができない。
そもそも答えというか正解なんてないのかもしれない。
答え合わせができないのにどう上達すれば良いのか。
そういったことが上手い、つまりコミュ力があるみたいに言われている人を観察してみる。
パターンに当てはめているだけで、相手と対峙しているように見えない。
例外に対しては悪いのは相手ということにして片付けているように見える。
コミュニケーションの場での常識に外れた人間は排除される。
ルールありきのものだろうしそれはそうか。
コミュニケーションが上手い人はとても多くの人と関わるわけで、取りこぼしがないことよりも打率を重視して、そういう例外については深く考えず無視するのがいいのかもしれない。
それが効率的なのは理解できるが、心情的には肯定しがたいものがある。
セットプレイとか決め打ちみたいなので良好な関係になれてしまうのは楽しいだろうか?
変人願望がでてるかも。
誰かと同じで安心する気持ちと、人と違っていて特別なような気がしてうれしい気持ちと、どちらも理解できるが、後者の方が強いかもしれない。
実際は特別でも何でもなくて、誰かと同じで、何も面白くない人間であろうことは、あえて否定したい。
肯定してしまうようなことを言いたくないし、認めたくない。
8/23
ITが面白くなくなったのではなく、仕事や労働が面白くないだけ
チャットでのコミュニケーションがどんどん下手になって言っている気がする。
下手というかめんどくさい。
特にLINE。
業務的なのはぎりぎりなんとかなる。
対面のコミュニケーションよりもさらに自分の発言が相手に与える印象を考え込んでしまって身動きがとれなくなる。
9/12
障害調査とかやるとき、調べたこと、試したことは全部メモをとっていかないと、丸一日かけて解決に至らなかったときに虚無感で死にそうになる。
9/30
世間での正しい価値観と自分の価値観との乖離。
自分の価値観にのみ従って世間のそれを無視していいとは思わない。
社会の中で生きる恩恵を得ている以上なにか合わせなくてはならないのはわかる。
ただ自分の価値観そのものを修正しようとしてくるのは勘弁してほしい。
何を考えるかは自由にさせてほしい。
表面上の言動はなるべく合わせるようにするので。
10/30
労働を終えて帰宅する。
感受性の起動に30分から1時間かかる。
寝るまでの時間から夕食風呂等の時間を引いて可処分時間は4時間弱?
ピアノとオーボエそれぞれ1時間練習する時間はとれるはず。
11/5
他人の罪悪感を減らしてあげるために明るく振る舞わなくてはならない場面が存在する。
共感性死んでるのかも。
共感性を重視するコミュニケーションでがっかりした目を向けられることが多い気がする。
11/7
金を稼ぐ行為、得られる報酬額は他人を不幸にする量、人数、度合いで決まる。
思考は直列ではないのに、並列なことも文章にしたとき直列な表現を強制されることにストレスを感じる。
1ヶ月前に確かに自分がやったはずの操作について何も記憶が残っていないことがある。
めっちゃこわい。