雑多な日記

雑多である

広告は嫌いだけどデザインの話は割と好きなのなんでやろねという話

 私は世にはびこる広告の類に対して"なんとなく嫌い:というスタンスというか感情というかそんな感じの立場をとっている。 理由は売りつけたい製品の実際の品質だとかその製品から買うことによって得られる体験を過剰に大きく表現しやがる、というのが大きい。たぶん。 人間はわりと印象というかなんとなくそういう風に感じた、みたいなふわっとしたものに判断をゆだねてしまいがちである。 広告の類はそういう不確かな、人が受ける印象というものを操作しようとしてくる。 そしてその印象は往々にして製品から実際に得られる体験とは乖離しているものである。 誠実とは正反対にある態度ではないか。 ものを売る、という立場からすると広告の効果は絶大だ。 その分野に精通していて、広告が与えようとしている印象を鼻で笑ってあしらうことができるような人たちは、売りつける対象から除外してかまわない。 そんな面倒な客よりも印象だけで金を出してくれる都合のいい客のほうがはるかに多いからだ。 私は大半の広告は法律に引っかからないだけでただの詐欺だと思う。

 ではデザインはどうか。 一口にデザインといっても広い。 適用される分野にもよりそうだが、ものの実態を見せ方で良さげに見せる、という点では広告と共通する部分があるような気がする。 しかし私はデザインの話は嫌いどころか、割と好きな話題である。 広告とデザイン、どう違うのか考えてみる。 そうすると製品を購入した人間、つまりユーザーが得る体験に含まれるか否かが違いになっているのではと思った。 広告がどんなものだろうと、実際に製品を手にした時、そこから得られる体験に違いはない。 まあ印象が裏切られたとかそういうのはあるかもしれないが。 デザインは製品の一部だ。 デザインの如何によっては製品から得られる体験の質が大きく変わってくる。 UXとか言われてるあれだ。 デザインは性能自体にはかかわってくることは少ないが、使いやすさというところに大きく関わってくるように思う。 あとはデザインがいいから使っていて気持ちがよいとかそういう話もある。 デザインによってユーザーの体験が向上するのだ。

 結論として、製品そのものの質を変えることなく、単に売れるかどうかというところに注力した、広告というものはなんとなく嫌いで、 製品そのものの質に貢献しているデザインというものには、なんとなく好感をもっているんだなあと、自分の中で納得した話でござった。

おわり